株式会社 カトウプロ

写真撮影 ~カトウプロの原点~

2016.9.1.

1台のカメラから始まったカトウプロの軌跡

カトウプロ制作部において、ひときわ深い歴史を有するのが写真部門です。カトウプロの創業者である加藤泰平(現会長、以下「加藤」)が1951年に加藤写真工芸を創業したことが写真部門の始まりですが、その当時の「お客様のための最高の技術を」というスピリットが、事業を拡大しながら現在まで連綿と引き継がれてきました。今日までマニュアル制作会社としてお客様に必要とされる存在であれたのは、その想いを引き継いできた全社員の努力の証だと自負しております。

今回はカトウプロのカメラマンと共に歩んできた歴代のカメラについて、当時のエピソードを交えながら紹介します。カメラはすべて撮影ができる状態で保管されており、実際に手に取ってみると、カメラマンの愛情と信頼、そして歴史がひしひしと感じられるものばかりです。

 

Rollei Rolleiflex X(1949年発売) Zeiss-Opton Tessar 75mm F3.5

Rollei Rolleifex

加藤写真工芸として事業をスタートする以前から、加藤が所有していた中判カメラ「Rolleiflex X」(画面サイズ 6×6 cm)である。

グラフ誌(写真を主体とした雑誌)のポートレート、航空写真、文献複写などの様々な撮影に使用された。当時はまだフィルム感度が低かったため、ストロボ撮影ができるこのローライは非常に頼もしいカメラであった。

 

Ernst Leitz Leica Ⅲf Red Dial(1952年発売) Elmar 5cm F3.5

八幡製鐵(第2次世界大戦前、日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所。現 新日鐵住金)の社史編纂の際に入手した「Ernst Leitz Leica Ⅲf Red Dial」である。Elmar 5cm F3.5(写真)とキヤノン製35㎜のレンズを併用しながら撮影を行なった。広大な製鉄所内のあらゆる設備の撮影に4年の歳月を要したのだが、「溶鉱炉を撮影した際に、貼皮がみるみる乾燥してすべて剥がれ落ちた」というエピソードがある。カメラにとっても(もちろんカメラマンも)物凄く過酷な環境下での撮影であったことは想像に難くない。2010年に外装含めオーバーホール済である。

 

Mamiya RB67 PROFESSIONAL(1970年発売) SEKOR 127mm F3.8

Mamiya RB67

本田技研工業株式会社と取引を開始し6年が経過した頃、ホンダ製品のサービスマニュアルの表紙写真は、加藤の撮影によるものであった。その撮影に使用していた中判カメラが「Mamiya RB67 PROFESSIONAL」(画面サイズ 6×7 cm)である。主に120フィルム(中判カメラで使用する写真フィルムの規格。倍の長さの220フィルムもあり、ブローニーフィルムとも呼ばれる)を使用し、クルマ1台につき1本のフィルムを使用して撮影を行なった(右側面、左側面を各5枚)。

 

PENTAX LX(1980年発売) SMC PENTAX MACRO 50mm F4

PENTAX LX

サービスマニュアルは、車両の整備手順を説明した整備士を対象とした資料であることから、写真やテクニカルイラストを用いる手順説明は最も重要とされていた。一車両の整備手順を表現する写真枚数は600枚を優に超え、要したシャッター数はその2倍以上に及んだ。当時の二輪業界は「HY戦争」と呼ばれ、ホンダとヤマハが新機種開発を激しく競い合った時代であったため、サービスマニュアルの制作案件が異常に多く、加藤はスタジオと自宅(暗室)と現像所を行き来する毎日が続いた。加藤が多忙を極めるということは、機材も激しく消耗するということで、撮影途中の故障など不慮の事態に備え、この「PENTAX LX」を4台用意し、ローテーションしながら撮影を行なっていた。また、人的負担軽減のためオートワインダ―を装着。フィルムは主に富士フイルムの「NEOPAN SS」を使用した。

 

SONY Mavica MVC-5000 (1990年発売) MCL-913T ZOOM LENS 9.5~123.5mm F1.8 MADE BY Canon

sony mavica

資料制作において、いち早くデジタルカメラを導入したことはカトウプロの自慢の一つだが、最初に導入したのは「SONY Mavica MVC-5000」(38万画素)である。このカメラは2 inの磁気ディスクにアナログ記録するタイプの電子スチルカメラというものであった。それまでの一眼レフカメラと同様にレンズ交換が可能であったため、マクロレンズ等も使用して撮影していた。運用には撮影した画像をアウトプットするための専用の周辺機器が必要で、再生機、プリンタやモニターなどの設備も整えた。しかしながら、当時の先進技術はまだまだ既存技術に及ばないものであったため、撮影現場では信頼性の高い既存の銀塩(フィルム)カメラが使用され、このカメラの出番が回ってくることは無かった。

 

富士フイルム FUJIX DS-505 (1995年発売) AI AF Zoom Nikkor 35~105mm F3.5~4.5D(IF)

FUJIX DS-505

SONY Mavica MVC-5000に続き導入したカメラが「FUJIX DS-505」(130万画素)で、PCカードに記録するタイプのデジタルカメラであった。MVC-5000に比べ有効画素数が格段に向上(MVC-5000比3.4倍)し、ハイクオリティ印刷を要求されなければ有効画質は保たれていた。写真のデジタル化は後々印刷(DTP)業界を大きく変貌させていくことになるのだが、当時はまだまだ新しい(発展途上)技術は現場の混乱を招くと捉える風潮が強く、品質テストをクリアしながらも、後工程のワークフローにおける設備投資の負担、スキルフルな人材の不足などが懸念され実稼働には至らなかった。しかし、このカメラで得た知識と経験が以後のデジタル化に向け、カトウプロ写真部門の大きな自信となったことは間違いない。

 

NIKON D1(1999年発売) AI AF Zoom Nikkor 28~105mm F3.5~4.5D(IF)

NIKON D1

カトウプロで初めて実戦投入したデジタルカメラが「NIKON D1」(270万画素)である。背面に液晶モニターが搭載され実用性が高くなり画素数もさらに向上(DS-505比2倍)し、画質に関する問題も一切なくなった。強いて弱点を上げれば、バッテリーの持ちが悪く、2時間程度の連続使用でバッテリーが空になってしまい、ACアダプターと予備バッテリーの携帯は必須であったこと。当時を思い返すと世はデジタル化の一途を急速に辿っており、制作・印刷会社は全工程においてデジタル化を進めなければ淘汰されてしまう時代であった。早期にデジタル化への対応に着手していたカトウプロでは、この時代の流れをうまく捉え、各制作工程においてデジタル化による様々な効率化を図ることで数多くの実績を積み上げることにつながった。

 

arranged

今では2000万画素以上が当たり前の時代ですが、270万画素(1999年)の頃、すでに写真のデジタル化に大きな未来を描いていたカトウプロの写真との歩みは、とっくに半世紀を越えています。しかし、これからも驕り高ぶらず謙虚に世の中の移り変わりを写真に収め続けてまいります。

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